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神戸地方裁判所 昭和63年(行ウ)20号 判決

原告

林敏夫

林健太郎

林次郎

林哲也

右原告ら訴訟代理人弁護士

川本権祐

玉生靖人

辻武司

被告

文部大臣

赤松良子

右指定代理人

手﨑政人

外七名

主文

一  原告らの主位的請求を棄却する。

二  原告らの予備的請求に係る訴えを却下する。

三  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

一主位的請求

被告が、昭和四一年三月二二日(同年文化財保護委員会告示第一五号)、兵庫県伊丹市緑ケ丘四丁目一八番を含む二四筆の土地に対してした、「伊丹廃寺跡」としての史跡指定処分は、右一八番の土地に対する関係において、無効であることを確認する。

二予備的請求

原告らが、昭和六二年八月七日付けで被告に対してした、被告が昭和四一年三月二二日(同年文化財保護委員会告示第一五号)に兵庫県伊丹市緑ケ丘四丁目一八番の土地に対してした「伊丹廃寺跡」としての史跡指定処分を解除すべき旨の申請に対し、被告が何らの判定をしないのは違法であることを確認する。

第二事案の概要

一本件は、自己の所有地について被告から史跡指定処分を受けた原告らが、当該史跡指定処分の違法無効を主張して、(1)主位的に右指定処分の無効確認を、(2)予備的に右指定処分を解除すべき旨の原告らの申請に対して被告が何らの判定をしないのは違法であることの確認を、それぞれ求めた事案である。

二前提となる事実

1  原告らは、伊丹市緑ケ丘四丁目一八番の土地(以下「原告ら所有地」という。)の所有者である。(甲第五号証の三)

2  被告は、昭和四一年三月二二日、原告ら所有地を含む二四筆の土地につき、文化財保護法(以下「法」という。)六九条一項に基づき「伊丹廃寺跡」として史跡指定処分(以下「本件指定処分」という。)をした。(争いがない。)

3  原告らは、昭和六二年八月七日付けで、被告に対し、本件指定処分の解除申請をした。(争いがない。)

三争点

1  本件指定処分全体について原告らに訴えの利益があるか。

2  本件指定処分の適法性

3  本件指定処分の解除申請に対する不作為違法確認請求の適法性

第三争点に対する判断

一争点1について

1  原告らは、次のとおり主張する。

行政処分が無効である場合は、何人に対する関係においても無効であるから、無効確認訴訟の原告適格を有する者は、当該行政処分が無効である所以を自己の法律上の利益に関係のある違法であるか否かにかかわりなく主張することができる。行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)三八条が同法一〇条一項を準用していないのはそのためである。

仮に無効確認訴訟においても原告らに法律上の利益があることを要するとしても、本件指定処分は、一定範囲の土地全体を史跡として指定しているのであって、対象となっている土地の数だけのそれぞれ独立した行政処分が存すると解すべきではなく、一個の行政処分であると解すべきであり、本件指定処分の対象である土地の一部を所有する原告らは、本件指定処分全体の違法無効を主張する法律上の利益を有する。

2  被告は、次のとおり主張する。

無効確認訴訟においても、原告らに、法律上の利益があることを要するから、原告らは、原告ら所有地に対する史跡指定処分に関する無効事由のみを主張することができるだけである。

3  裁判所の判断は、次のとおりである。

無効等確認の訴えは、当該処分又は裁決の無効等の確認を求めるにつき法律上の利益を有する者に限り提起することができる(行訴法三六条)のであるから、取消訴訟等と同じく、自己に対する処分により法律上の利益を侵害された者が救済を求め得る訴訟であって、法規に適合しない行為の是正や行政機関相互間の紛争解決を目的とするいわゆる客観訴訟とは本質的に異なるものである。

したがって、無効等確認の訴えにおいては、自己の法律上の利益に関係のない無効事由を主張することは許されない。

この観点から検討すると、本件指定処分は、原告ら所有地以外の土地をも対象としているが、土地は、本来可分の性質を有し、各個の土地につき別個の所有占有関係などが存在することからすれば、法律上の利益も、原則として各個の土地ごとにその有無を判断するのが妥当であり、原告らは、原則として原告ら所有地に対する指定処分についてのみ無効を主張する法律上の利益を有し、原告ら所有地以外の土地に対する指定処分の無効主張は、原告ら所有地に対する指定処分の効力に影響のある場合にのみ法律上の利益を有すると解すべきである。

二争点2について

1  本件指定処分の範囲

(一) 主要伽藍跡地等は、本件指定処分の対象となっているか。

(1) 原告らは、次のとおり主張する。

本件指定処分の対象にされているのは、築地塀跡、廻廊跡、僧房跡の各一部分が存するとされる土地であって、主要伽藍跡地等(自衛隊敷地内に存するとされる遺構をも含む)は本件指定処分の対象にされていない。

主要伽藍跡地等とされるものが史跡指定処分の対象とされずに、築地塀跡地等の附属施設の跡地とされるものを「重要なもの」として史跡指定処分をするのは、およそ形式矛盾的背理であり、法六九条一項の要件を満たさない。

正誤表をもって正誤訂正が許される範囲は、誤字、誤植、違算といった軽微、かつ、何人が見ても明らかな遺漏の類のものであり、訂正前後において当然表示の意味する実体の同一性が保たれ得るものに限られるのであり、これを越えて、前後の同一性のない訂正は、法律的に無意味である。

本件のように、「一八番」から「一六番、一八番、二一番ないし二三番、二五番ないし二七番」への訂正は、前後の同一性が全くない実体的な追加的変更を訂正の名において敢行しようとした、法律的に無意味な行為である。

国民の権利、自由の制限に関し特に厳格な手続と形式並びに明確な内容を要求される行政行為において、処分の実質的内容を変更する行為は訂正で行うことは許されない。

本件指定処分の対象とされていない「一六番、二一番ないし二三番、二五番ないし二七番」の土地を本件指定処分に加えるためには、あらたに文化財専門審議会に諮問し、史跡指定を可とする旨の同審議会の答申を得た上で、被告において、史跡指定決定をし、改めて、官報による告示及び通知によって史跡指定処分をすることを要する。

(2) 被告は、次のとおり主張する。

主要伽藍跡地等は、原告ら所有地には含まれていないから、原告らには、右無効事由を主張する法律上の利益がない。

仮に原告らに法律上の利益があったとしても、昭和四一年七月一九日付け官報の正誤訂正により、主要伽藍地区についても、告示があったことになるから、主要伽藍跡地は、本件指定処分の対象となっているといえる。

(3) 裁判所の判断は、次のとおりである。

① まず、主要伽藍跡地が本件指定処分の対象となっていないという無効事由を主張するについて原告らに法律上の利益があるか否かについて検討するに、原告らの主張は、主要伽藍跡地が本件指定処分の対象とされずに、他の付属の遺跡のみが本件指定処分の対象とされるのは不合理であるというものであるから、原告ら所有地に対する指定処分の効力に影響する無効事由といえるので、原告らには法律上の利益があると解すべきである。

② そこで、主要伽藍跡地が本件指定処分の対象とされているか否かについて検討するに、甲第一号証、乙第一ないし第九号証、第一〇号証の一、二によれば、次の事実が認められる。

ア 文化財保護委員会は、昭和四一年三月二二日付け官報において、文化財保護委員会告示第一五号として、本件指定処分の告示をしたが、その地域として、記載があったのは、原告ら所有地を含む二四筆の土地のみで、兵庫県伊丹市緑ケ丘四丁目一六番、二一番、二二番、二三番、二五番、二六番、二七番の土地は記載されていなかった。

イ 文化財保護委員会は、昭和四一年七月一九日付け官報において、「正誤」の項目に右告示を掲げ、兵庫県伊丹市緑ケ丘四丁目一八番は、原稿の誤りで、兵庫県伊丹市緑ケ丘四丁目一六番、一八番、二一番、二二番、二三番、二五番、二六番、二七番が正しい旨を記載した。

ウ 右記載漏れのあった兵庫県伊丹市緑ケ丘四丁目一六番、二一番、二二番、二三番、二五番、二六番、二七番の各土地は、発掘調査の結果、金堂跡、塔跡、廻廊跡が存在したとされている地域であり、その発掘は、昭和三三年一二月二五日に開始された。

エ 伊丹市は、昭和四〇年二月二三日付けで、伊丹市緑ケ丘四丁目二二番、二三番、二五番、二六番、二七番の各土地について、法六九条一項に基づいて史跡指定申請をした。

オ 文化財保護委員会は、昭和四〇年三月一九日付けで、文化財専門審議会に伊丹廃寺跡の史跡指定について諮問をし、文化財専門審議会は、同月二四日に諮問のとおり、指定を可とする答申をし、文化財保護委員会は、同月二六日に、答申のとおり指定をすることを決定した。

カ 伊丹廃寺跡については、文化財保護委員会から昭和三九年以降土地買い上げのための補助金が交付され、昭和三九年度には、右区域の中の四丁目二三番、二六番の各土地が伊丹市に買収された。

③ 右認定のように、問題となっている主要伽藍の存在する区域は、最も早くから発掘調査が進められ、伊丹廃寺跡の遺跡の中心部分で、その遺跡としての高い価値が判明していたこと、右区域に対しては、本件指定処分前に伊丹市長から文化財保護委員会へ史跡指定の申請があり、同委員会の諮問、文化財専門審議会の答申の対象として扱われ、その答申の結果は指定を可とするものであり、文化財保護委員会は、答申の結果を踏まえて指定することを決定したこと、昭和三九年以降、伊丹廃寺跡の土地買い上げの一環として買収手続が行われていたことからすれば、本件指定処分の対象は、当初から主要伽藍の存在する区域を含む土地であったと解するのが相当である。

したがって、昭和四一年三月二二日付け官報告示は、事務的な誤りによって、主要伽藍地区の表示が記載されなかったものであると解すべきであり、同年七月一九日の官報により正誤訂正をしたことは、原告の主張するような処分の実質的内容を変更することには該当しないといえる。

原告らは、本指定処分が国民の権利・自由の制限に関するものであるから、厳格な手続と形式及び内容の明確性が必要であると主張するが、前記認定のとおり、主要伽藍の存在する区域は史跡指定されることが当然視されていたのであり、かつ、後記認定のとおり、この時点で買収されていなかった土地所有者に対しては、指定の通知がされているのであるから、土地所有者に対し、不測の不利益を課することにはならない。

④ したがって、主要伽藍跡地は本件指定処分の対象となっていると認めることができる。

(二) 本件指定処分の対象には、伊丹廃寺の寺地・寺域に属さない部分の土地も含まれているか。

(1) 原告らは、次のとおり主張する。

① 伊丹市緑ケ丘四丁目四〇番に存する吉村悟郎所有の土地(以下「吉村土壇」という。)の西側境界線を北に真っ直ぐに本件指定土地にのばした線の東側の部分の土地は、本件指定処分の対象とされているが、この部分については、吉村土壇のような土壇が存在するわけでもなく、かつ、築地(塀)の外とされている部分であり、寺地、寺域とは無関係な土地である。

② 吉村土壇については、発掘調査の結果によれば、築地(塀)外にあって、かつ、寺地から離れており、伊丹廃寺の結びつきには疑いがあり、これを伊丹廃寺と一連の関係を有する建造物とみなすことを躊躇するとされているにもかかわらず、被告は、右土地を伊丹廃寺跡として史跡指定処分をしているが、被告が、本件指定土地全体を伊丹廃寺跡として史跡指定処分をしたのは、伊丹廃寺とは関係の認められない吉村土壇を史跡指定処分したこととの釣り合い上そうしたか、又は、本件土地のうちの該当部分とされる部分を実測してその部分のみを指定処分するのを面倒に思ったかのいずれかである。

③ 以上のように、本件指定処分は、伊丹廃寺の寺地、寺域に属さない土地も対象とされており、これは、恣意的に国民の財産権を侵害するものであるから無効である。

(2) 被告は、次のとおり主張する。

史跡指定の対象範囲と遺跡の存在する範囲が厳密に一致している必要はないから、指定範囲の中に遺跡の存在しない部分があったとしても、そのことで直ちに本件指定処分が違法となるものではないし、原告ら所有地に対する指定処分と吉村土壇の存在とは関係がない。

(3) 裁判所の判断は、次のとおりである。

① 甲第三号証、検甲第一号証、乙第一ないし第三号証、第六号証、第一〇号証の二及び原告林敏夫(以下「原告敏夫」という。)本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

ア 原告ら所有地内には、東側廻廊跡、東側掘立柱遺構(東僧房跡)及び東側築地跡が存在するが、これらの史跡は、原告ら所有地の西側境界から概ね三五メートルの範囲にあり、その占める割合は原告ら所有地の五分の三以上に当たる。

イ 原告ら所有地の形状は、一面竹林となっている。

ウ 吉村土壇については、旧来、建築遺構としてその存在が知られており、築地外の別院か豪族の住宅、時代を異にするなら後身の寺院などの遺構であることが想定されているが、これが伊丹廃寺の主要伽藍の存した場所であるとの見解もある。

② これらの事実からすれば、確かに、原告ら所有地の中には、遺跡の存在しない部分もあることになる。

しかし、史跡指定をするに当たり、一筆のうち、遺跡の存在する区域のみの面積を実測し、その面積を表示して指定することも考えられるが、これは、遺跡などの存在する区域のその一筆に占める割合、その区域と他の部分の利用形態の異同などからみて、一体として扱うことが適当でなく、将来にわたる保護のためにその方が適切であるとされた例外の場合であって、一般に、史跡などの指定対象範囲を、遺跡が存在する区域と厳密に一致させることは、その史跡などを将来にわたり保存、管理し、整備を施して公開活用していくことを考えると、必ずしも適当なものではないと解される。

③ そして、原告ら所有地における遺跡の存在する範囲の割合、土地の状況からすれば、原告ら所有地が特に一体として扱うことが適当でなく将来の保護のために遺跡の部分のみを切り離して指定するのが適切である場合には該当しないから、原告ら所有地の一筆全体を史跡指定したことが違法であるとはいえない。

④ 更に、吉村土壇については、原告は、伊丹廃寺とは関係がないと主張するが、前記認定事実によれば、その遺跡の明確な内容は明らかでないものの、伊丹廃寺と何らかの関連性があることは明らかである。

そして、寺院の場合は、建て替えがしばしばあり、数次にわたる建て替えの遺構及びそれらの寺院との関連性を有する遺構が互いに重複し、あるいは位置を異にして残っていることが多く、史跡指定に際しては、基本的には、それらの存在する区域を全体として対象に考えるのが通常であって、それら数次にわたる時期の遺構のうちどれか一つを選んで対象とすることはないのであるから、吉村土壇を指定処分の対象としたことに何らの違法性は存しないというべきである。

したがって、本件指定土地全体を伊丹廃寺跡として史跡指定処分をしたのは、伊丹廃寺とは関係の認められない吉村土壇を史跡指定処分したこととの釣り合い上そうしたのであるとの原告らの主張は採用することができない。

(三) 自衛隊敷地内の国有地は、本件指定処分の対象とされるべきか。

(1) 原告らは、次のとおり主張する。

自衛隊敷地内の自衛隊用国有地は、伊丹廃寺跡の遺構が存在するとされているにもかかわらず、本件指定処分の対象とされていないが、法には、自衛隊用地その他の国有地を史跡指定処分の対象から除外する旨の規定は存しないし、国有地であっても史跡指定処分の対象となることは当然であるから、本件指定処分に当たって、自衛隊敷地内の国有地を指定の対象からはずしているのは法の趣旨に反し、違法である。

(2) 被告は、次のとおり主張する。

自衛隊用国有地に対する指定処分の不存在は、原告ら所有地に対する指定処分の違法性に影響しないから、原告らには、右無効事由を主張する法律上の利益がない。

(3) 裁判所の判断は、次のとおりである。

① 原告らの主張は、自衛隊用国有地内に伊丹廃寺跡の遺構が存在するにもかかわらず、自衛隊用国有地であるから指定しないのは違法であるとするものであるが、原告主張の無効事由は、原告ら所有地とは何ら関係のないものであるから、原告らには、右無効事由を主張する法律上の利益はないというべきである。

② 仮に、原告らに法律上の利益が存在するとしても、指定の範囲は、遺跡の範囲、遺構等の保存状況、遺跡地の現状、指定を行わなければ破壊を受けることとなるかどうか、指定後に史跡公園等として整備し公開することを期待することができるかどうか等を総合的に勘案して決定するのが通常であり、そのような判断の結果、遺跡地のうち一部地域のみが指定の対象範囲とされることも多く、遺跡が存在する土地全てを指定の対象としなければならないものではない。

したがって、自衛隊用国有地について指定をしなかったからといって、そのことのみで直ちに指定処分が違法となるものではない。

そして、本件では、特に右区域を指定しなかったことが、違法とされる事情は認められないから、原告らの右主張は採用することができない。

(四) 周辺の附属施設跡地を本件指定処分の対象とすることの可否

(1) 原告らは、次のとおり主張する。

廃寺跡を何らかの形で保存しようとすることは意義のないことではないが、保存の範囲、程度、方法については、その目的と関係所有者等の財産権の尊重の理念との調和のもとで決せられるべきものである。

伊丹廃寺跡については、寺の主要伽藍の存在する区画以外の地域は既に住宅地等となっていて、これを買収するには長年月を要するし、出土品は博物館に収蔵され、遺構については記録保存の方法が講じられ、主要伽藍跡地は史跡公園として整備・保存されている。

また、伊丹廃寺跡の歴史的価値は、藤原京跡、平城京跡等に比して歴史的・文化的意義において著しく低い。

このような状況のもとで、修景的保存等を越えて、周辺の附属施設跡地とされるものに対する史跡指定処分をすることは、土地所有者に対して酷であり、指定権限の濫用又は逸脱である。

(2) 被告は、次のとおり主張する。

伊丹廃寺跡は、その全体が、わが国古代における中央・地方の寺院の在り方に関し基礎的な研究資料を提供するとともにその時代の政治・文化の一端を示す貴重な遺跡である。文化財保護委員会は、その裁量権によって、諮問機関である文化財専門審議会に諮った上で判断して、本件指定土地全体の指定を決定したものであって、その判断において裁量権の踰越、濫用は存しない。

(3) 裁判所の判断は、次のとおりである。

① 甲第二ないし第四号証、乙第一号証、第七号証、第一〇号証の二によれば、発掘調査の結果、次のとおりの事実が推認できる。

ア 伊丹廃寺跡は、奈良時代前期に各地の豪族によって建立された寺院の遺跡の一つであり、堂塔の配置は、一般に法隆寺式といわれる様式に属し、塔が西に金堂がその東に並列している。

イ 廻廊は、堂塔をめぐり、南に中門をひらき、他の三方には僧門がある。その外、北方地域にその東寄り金堂の後に大きな堂宇があり、その両側に南北に細長い掘立柱の建築物がある。

ウ 金堂の北にある大きな堂宇は、遺構の状況からみて一般例の講堂級の建物であったことは明らかであり、一般に各様式の堂塔配置においても、講堂級の建物は北方中央部に存するのが通例であるから、こうした講堂級の建物が伽藍中軸の片方に、しかも、金堂と前後して偏在することはその堂塔配置からみて特異であるといえる。

このような配置は、一般にいわれている法隆寺式の配置とは著しく異なっており、法隆寺式の一変形とみなされる。

エ 廻廊の外、西、東方地区で顕出された掘立遺構は、その位置や状況からみて僧房跡と推測されるが、それが東西対称になっていないだけでなく、いわゆる三面僧房という形をとらずに北面を欠いている点が注目される。

② そして、乙第一号証によれば、発掘調査によって、伊丹廃寺跡が一部を除いてほとんどその全貌が明らかになったことは、それだけでもわが国上代寺院の研究にとっての基礎的資料を提供するものであるが、それが畿内寺院として法隆寺伽藍に近似し、それとの対比において考慮されるべき点を多々有することは、更にその資料としての価値を高めるものであるし、また、それが創建時の形に近く維持され、その焼失後もその跡が乱されることもなかったことは、その原型としての大和の風がこの地においてどのように取り入れられたのかを考えさせるものであり、大和における原型を推考する一つの資料ともなり得るものである。

③ 原告らは、主要伽藍以外の施設跡地についてまで指定するのは、指定権限の濫用又は逸脱であると主張するが、遺跡の歴史的意義は本来多様なものであり、史跡指定については、法が行政庁に対し、多数の遺跡の中から多様な意義を総合的に判断して、国として保存すべき遺跡を選択する裁量権を与えている。

本件指定処分に当たっても、前記二1(一)で認定したとおり、文化財保護委員会は、諮問機関である文化財専門審議会に諮った上で本件指定土地全体の指定を決定しているし、右①で認定したとおり、伊丹廃寺全体の歴史的価値は決して低くなく、また、原告らが付属施設とする主要伽藍以外の廻廊、掘立柱も史跡としての伊丹廃寺の重大な特色を示していて歴史的価値を有しているのであるから、これらに対する史跡指定処分が権限の濫用又は逸脱であるとする原告らの主張は採用することができない。

④ 原告らは、指定権限の濫用又は逸脱の理由として、当該土地が既に住宅地等となっていて、これを買収するには長年月を要することを挙げるが、史跡指定地を地方公共団体が買い取る場合に国の補助を受けることのできる制度を法は規定しており、この場合に住宅地を除く旨の規定はないことからすれば、法は、民間の住宅地の買収を予定しているということができるから、指定土地が住宅地であるからといって、直ちに、その指定が指定権限の濫用又は逸脱になるものではない。また、本来、文化財保護の行政は強制的な措置になじむ性格のものではなく、その実現に長年月を要することは当然であるし、甲第二号証、第六号証、乙第二号証によれば、本件史跡については、指定後現在に至るまで、絶え間なく発掘調査が進められ、民有地の買収も進められていることが認められることからすれば、主要伽藍跡地以外に対する指定が裁量の濫用又は逸脱に当たるとはいえない。

2  本件指定処分の目的

(一) 原告らは、次のとおり主張する。

(1) 本件史跡のうち、現在都市公園となっている地域について、官報による告示が脱落したのは、当該地区には既に都市公園化計画があるので、遺跡の保存及び活用の面では十分であるから、史跡指定の必要はないと考え、かつ、都市公園と史跡指定とが重複した場合、二つの法律による権限の衝突を生じ、その調整が極めて困難になると判断したためである。

右区域について官報の正誤表で告示を追加したのは、都市公園に史跡としての価値付けを求めたか、用地取得のために文化財保護法に基づく補助金を重ねて得るためである。

(2) 都市公園となっている土地以外の土地について、伊丹市の指定申請が遅れたのは、当該区域について、同市は、当初は指定不要と考えていたが、その後、史跡としての価値付けが必要と考えるに至ったためである。

(3) したがって、本件指定処分は違法な目的による違法な処分である。

(二) 被告は、次のとおり主張する。

(1) 都市公園の土地について、都市公園法に基づく国庫補助は行われていない。

(2) 都市公園法と文化財保護法は、都市における公園・緑地の整備と文化財の保護という別個の目的を有しており、調整困難な制度的問題があるとは考えられない。

現在、特別史跡姫路城跡、特別史跡大阪城跡など多くの史跡が都市公園となっているが、文化財保護法を所管する文化庁では、都市公園管理者との間に特に問題は生じていない。

(3) 都市公園の土地以外の土地についても、史跡指定の必要があると伊丹市が判断したから、申請をしたのであって、史跡としての価値付けが必要だからではない。

(三) 裁判所の判断は、次のとおりである。

(1) 本件指定処分の対象地のうち、伊丹市緑ケ丘四丁目二一番ないし二三番、二五番ないし二七番の各土地は、都市公園法に基づき伊丹市が設置した都市公園(以下「本件都市公園」という。)となっている。(当事者間に争いがない。)

(2) 乙第一二ないし第一四号証によれば、次の事実が認められる。

① 本件都市公園となっている伊丹市緑ケ丘四丁目二一番ないし二三番、二五番ないし二七番の各土地は、昭和三九年から買収が開始され、現在では全て伊丹市により買収されている。

② これらの土地の買収については、伊丹市の申請により、昭和三九年度及び昭和四〇年度に五〇〇万円(補助率五〇パーセント)、昭和四一年度に九〇〇万円(補助率四八パーセント)の文化財保護委員会による国庫補助が行われた。

③ 右国庫補助は、昭和三九年度については、同年八月二五日、昭和四〇年度については、同年六月四日、昭和四一年度については、同年四月二三日に決定された。

(3) 右認定事実によれば、本件都市公園の土地について史跡指定がされるより以前に、史跡に存する土地の買収について文化財保護委員会による国庫補助が支出されることは決定していたのであり、他方、本件都市公園について都市公園法による補助金が支出されたことを窺わせる証拠は何ら存しないことからすれば、伊丹市には、指定申請当時、原告らの主張するような「都市公園法による補助に加えて文化財保護のための補助金を重ねて受けるため」に史跡指定されることを必要とする事情が存在する可能性はなかったというべきである。

(4) 更に、本件都市公園の土地について指定の告示が官報から脱落した理由について、原告らは、都市公園法と文化財保護法との二つの法律の調整が困難になるため、故意に告示からはずしたと主張するが、都市公園法と文化財保護法は、それぞれ都市における公園・緑地の整備と文化財の保護という別個の目的を有しており、ある地域に対して一方が適用されれば他方の目的も達せられ、その適用の必要がなくなるということはあり得ないし、その間に本来的に調整困難な制度的問題があるとは考えられない。

(5) また、本件都市公園の土地以外の本件指定処分の対象地について、申請が遅れた理由についても、前記二1(四)で認定したとおり、本件都市公園の土地について史跡申請をした当時、既に、発掘調査の結果から、本件都市公園の土地以外の土地も、史跡としての高い価値を有していることが判明していたのであるから、伊丹市が指定を不要と判断していたとは考えられないし、史跡としての価値付けを求めて指定申請をしたと認定するに足りる証拠は存しないから、この点に関する原告らの主張は採用することができない。

3  本件指定処分の内容及び方法

(一) 内容の特定性、明確性

(1) 原告らは、次のとおり主張する。

一般に土地を特定する場合には、当該土地の地番を用いて表示されるのが通常であり、本件のように「右地域内に介在する道路敷及び水路敷を含む」とするような表示は、当該土地に地番が付されていない場合、すなわち、国有地たる里道、水路などを表示する場合に、実測図と併せて用いられることはやむを得ないが、地番が付されている土地を表示する場合には用いてはならない方法である。

したがって、このような表示をもってする史跡指定処分は、内容が不特定かつ不明確であるから、当然無効である。

(2) 被告は、次のとおり主張する。

道路敷を史跡指定の対象として表示する場合は、常に地番で表記するのが最も客観的にわかり易いとは言えず、具体的な個別の事例によって、地番による表記、付されている道路の名称とその道路中の特定の区間を示しての表記、一定の区域を特定してその区域内にある道路敷を包括的に含む旨の表記を選択して用いるのが適切な方法でる。

そして、本件指定処分の対象となった地域の付近は、地番の整理が必ずしも、十分に行われているとはいえず、公図と現況区画割、道路とを詳細な点にわたり照合することが相当困難な状況にある。

特に、道路部分についてはその事情が著しく、道路敷を地番で表記することが不適切である。

(3) 裁判所の判断は、次のとおりである。

① 甲第一号証及び乙第四号証によれば、昭和四一年三月二二日付け官報による本件指定処分の告示において、指定地域の欄には、「緑ケ丘四丁目一六番東北隅地先より緑ケ丘五丁目五番東北隅地先までの市道北村・中野線および右地域内に介在する道路敷を含む。」との記載があることが認められる。

② 史跡指定の範囲を表示する方法としては、一般に、地番を用いることが多いが、これは、地番を用いるのが最も客観的でわかり易いからである。

道路については、形状、使用状況等から道路とされているものも、これを土地の表記の面からみると、従来からの里道として全く地番の付されていないもの、里道に両側の土地を一定幅ずつ買収して道路幅を広げたために一本の道路敷の中に地番のない部分と買収後に道路用地として分筆された地番が付されている部分が複雑に混在しているもの、道路幅の拡張が右のような手順を経ないで行われたなどの事情で、実態上道路敷となっていながら両側の土地との分筆、整理が行われておらず、道路部分を単純な地番では特定できないもの等があり、常に地番で表記するのが最も客観的でわかり易いとはいえない。

すなわち、道路敷を史跡指定の対象として表示する場合は、具体的な個別の事例によって、地番による表記、市道等として付されている道路の名称とその道路中の特定の区間を示しての表記、一定の区域を特定してその区域内にある道路敷を包括的に含む旨の表記を選択して用いるのが適切な方法である。

本件指定処分の対象地となっている市道北村・中野線及びその道路敷についての表記も、道路の名称とその道路中の特定の区間を示しての表記と一定の区域を特定してその区域内にある道路敷を包括的に含む旨の表記を併用して用いたものであり、この方法による表記が本件において不適切であると窺わせる事情は存しない。

したがって、原告らの右主張は採用することができない。

(二) 一部についての発掘調査の結果から想像による予想図を描き、これに従って指定をすることの可否。

(1) 原告らは、次のとおり主張する。

原告ら所有に係る本件土地内に存するとされる東側築地塀跡、東側僧房跡、東側廻廊跡の各一部とされているものは、二つの柱穴跡とされるものと、その余は黄褐色粘土を搗いた跡が認められるというものであり、その全容は現実に顕現されていないもので観念的、想像的に予想図を描いているのである。

法は、土地に埋蔵されているものについては、それが発掘調査の結果、現実に顕現されたところに忠実に従い、これに考古学その他の学問的評価を加えて、それを記念物と称し、更に、そのうち「重要なもの」につき史跡として指定処分をすることを許している。

しかるに、右のような予想図、想像図によって、すなわち、それが真に記念物であるか、ましてやそのうち重要なものであるか否か、未だ判明しない状態で、史跡として行政処分の対象にするのは、法の予想しないところであり、違法である。

(2) 被告は、次のとおり主張する。

遺跡の内容は、文献資料の検討、地名の考証、地形・地貌の観察・測量等、発掘調査結果の解析等の方法を総合的に用いることによって把握することができるのであって、遺跡の全面を発掘しなければ把握できないものではない。

実際に、現在史跡指定されて遺跡のうちその全域が発掘調査されているものは皆無ではないが極めてわずかであり、藤原宮跡、平城宮跡にしても、史跡指定範囲のうち発掘調査されているのは、藤原宮跡が24.4パーセント、平城宮跡が28.4パーセントにすぎないが、全面が発掘調査されていないからといって、それらの遺跡としての在り方や価値が学問的に疑問とされることはない。

(3) 裁判所の判断は、次のとおりである。

① 遺跡の範囲、性格、歴史的意味等の把握は、文献資料の記載、地名、地形、発掘調査の結果等を総合的に判断することによって行うのが考古学、歴史学上の確立した手法であって、史跡指定のための価値判断に必要な知見を得るためにも、必ずしも原告らが主張するように遺跡の全面を発掘してしまわなければならないものではない。

すなわち、遺跡は、その種類によって、古代、中世のものであっても一定の規格性をもつものであり、そのことを含めた種々の学問的に確立した経験則により、多くの場合、その性格、歴史的意味等を十分把握することができるし、遺跡の全容は、必ずしも全域を発掘調査しなくても、文献資料の検討、地名の考証、地形・地貌の観察・測量等、発掘調査結果の解析等の方法を総合的に用いることによって把握することができるのである。

遺跡が全面にわたり発掘し尽くされるのは、多くは、その所在地に開発事業が計画される等の事情によって、遺跡を史跡等として保存することができないため、工事等による破壊に先立って遺跡の記録をとっておくための措置として発掘調査が行われる例外的場合である。

むしろ、発掘調査は、一般に、遺構を包含する土層の除去、遺構と一体となっている遺物の取り上げ、下層遺構の調査のための上層遺構の除去等の現状改変をしながら進められるものであり、不可避的に遺跡の含まれている土層の状態や遺構そのものの破壊を伴うものであって、一度実施すると、再度、同じ対象を同じ条件下で調査し直すことは絶対に不可能であるため、後世、更に発達した技術、知見によって調査する余地を残し、必要な最小限の範囲について行うべきとされている。

したがって、一部についての発掘調査の結果から、予想図を描き、これに従って指定をすることは、考古学、歴史学上適切な措置であって、当然許されることである。

② そして、特に、本件のように伽藍の配置が一定の様式に従っていることの多い古代の寺院跡の場合、その遺跡の全体構造の把握は、要所における小面積のトレンチ(試掘溝)調査によって十分可能であり、そのために大がかりな発掘調査を行うことは避けるべきであるとされている。

③ 乙第一号証によれば、東側廻廊跡、東側掘立柱(東僧房跡)及び東側築地跡については、次のとおり調査を行った結果、原告ら所有地内に遺跡が存在することが確認されたことが認められる。

ア 東側廻廊跡

原告ら所有地に東西のトレンチ(幅二メートル)数本を入れた結果、南寄りの二つのトレンチでは、三〇センチメートルまで砂利と黄褐色粘土が混じった盛土が見られ、これらの表土の下に褐色地山層と区別できる帯黄色土層が薄く存すること、最南のトレンチでは、黄褐色粘土層が東側で一メートル余り入り込み、そこに栗石が数個並び、その部分の粘土面が赤く焼けていること等から、建築地盤の東縁の角や廻廊についた東門などを想定できた。

イ 東側掘立柱(東僧房跡)、東側築地跡

原告ら所有地内に東側掘立柱遺構の延びている疑いがあるので、その部分にトレンチを入れた結果、一メートル幅の東西のトレンチ内に耕土下四〇センチメートルの黄褐色粘土面が発見され、その面に瓦片・土器片の散るのが見られた。その東端部ではその粘土面が三メートル幅に明確に存在し、それが南北に延びて、先に北方自衛隊敷地内で検出された東築地の延長線上にあるところから、東側築地跡と想定された。

また西寄りのところに、柱穴が二か所あらわれ、それが北方自衛隊敷地内の掘立遺構の延長と認められ、その柱列線上に柱穴の検出される可能性も出てきて、東掘立柱遺構の延びていることが想定された。

④ このように本件においては、原告ら所有地に対してトレンチによる調査を行い、その結果と文献等の資料、地名、地形等を総合的に判断した上で、原告ら所有地には東側廻廊跡、東側掘立柱(東僧房跡)及び東側築地跡の遺構が存在することが想定されたのであり、これらの遺跡は法六九条一項の「記念物のうち重要なもの」に該当するといえるから、原告ら所有地を全て発掘調査しなかったからといって、本件指定処分が法の要件を欠き違法となるものではない。

4  本件指定処分の手続

(一) 指定処分の具体的範囲の決定者は誰か。

(1) 原告らは、次のとおり主張する。

本件指定処分においては、文化財保護委員会事務局が、具体的指定範囲について、市、県と協議、調整の結果、決定しているが、史跡指定処分において具体的指定範囲は、行政処分の要素であるから、行政行為の主体として法律により権限を与えられている機関により行われるべきであり、法律上の権限を有しない単なる補助機関である事務局の決定は、権限がない者のした行為として無効である。

(2) 被告は、次のとおり主張する。

本件指定処分における具体的指定範囲の決定は、文化財保護委員会が同委員会事務局を補助者として行ったのであるから、その主体は、文化財保護委員会である。

(3) 裁判所の判断は、次のとおりである。

本件指定処分において、文化財保護委員会事務局が、具体的指定の範囲について、伊丹市、兵庫県と協議、調整をした点については、当事者間に争いがないが、文化財保護委員会事務局は、このような行為を文化財保護委員会の補助者として行ったものである。

文化財保護委員会事務局は、昭和四三年六月一五日法令九九号による改正前の文化財保護法八条、一八条に基づいて、文化財保護委員会の掌握事務を遂行するために置かれた組織であるから、文化財保護委員会の権限に属する史跡指定につき、地方公共団体等との間で協議・調整等を行い、その結果を受けて、文化財保護委員会が史跡指定を行うことは、行政機関の内部的手続として何ら違法の問題は生じない。

したがって、本件指定処分の具体的範囲を決定したのは、文化財保護委員会であるということができ、文化財保護委員会事務局であるとする原告らの主張は採用することができない。

(二) 指定に当たり文化財保護委員会が自ら調査をすることが必要か。

(1) 原告らは、次のとおり主張する。

本件指定処分に際し、文化財保護委員会は、現地の調査、研究を直接行わずに地方公共団体の申請の可否を決しただけであるから、自ら指定の決定をしたとはいえず、本件指定処分は違法である。

(2) 被告は、次のとおり主張する。

史跡指定に当たって、遺跡の価値等の判断の資料を全て文化財保護委員会が自らの調査によって得ることは必ずしも必要でないし、かつ、当時、文化財保護委員会は、担当調査官等を現地に派遣して必要な調査を行っている。

(3) 裁判所の判断は、次のとおりである。

史跡指定に際して、文化財保護委員会は、現地調査、当該遺跡に関する諸調査結果の検討等を行うが、史跡指定の対象となる遺跡の範囲、性格、歴史的意味等は、多くの場合、研究者の永年にわたる調査・研究の積み重ねによって学術的に把握されてきたものであって、それが史跡指定するに足るものかどうかは、このような知見をもとに判断するのが最も適切であるから、対象遺跡に関する調査・研究の全てを同委員会が直接に行わなければならないものではない。

また、文化財保護委員会による史跡指定のための検討等は、地方公共団体による史跡申請を受けて行われることがあるが、指定申請の手続と遺跡の価値等に関する判断とは全く別個の問題であるから、この場合においても、史跡指定に関する実質的判断は文化財保護委員会によって行われるのである。

したがって、対象遺跡について調査・研究を文化財保護委員会が直接行わないからといって、同委員会のした指定処分が違法となるものではないし、同委員会が実質的決定をしていないことになるわけでもないから、原告の右主張は採用することができない。

(三) 原告ら所有地についての手続の適法性

(1) 原告らは、次のとおり主張する。

原告ら所有地について、指定に必要な具体的調査、原告らとの間での財産権との調整が全く行われておらず、指定後今日まで管理・公開等の措置も講じられていないから、原告ら所有地に対する本件指定処分は違法である。

(2) 被告は、次のとおり主張する。

原告ら所有地内に遺構が存することは、調査によって学術的に明らかであるし、指定に際しての原告らとの関係についても、何ら違法は存しない。

(3) 裁判所の判断は、次のとおりである。

① 前記二3(二)(3)③で判示のとおり、発掘調査の結果、原告ら所有地内には東側廻廊跡、東側掘立柱遺構(東僧坊跡)及び東側築地跡が存在するとされているが、前記二3(二)(3)①のとおり、遺跡の存否は、遺跡全容を発掘しなくても、文献資料の検討、地名の考証、地形・地貌の観察、測量、発掘調査結果の解析等により総合的に判断できるのであるから、原告ら所有地について発掘等の具体的調査がされていないからといって、これに対する指定処分が違法となるものではない。

② また、財産権との調整については、確かに、法七〇条の二第一項は、指定を行うに当たっては、特に、関係者の財産権を尊重するとともに、国土の開発その他の公益との調整に留意しなければならないと規定しているが、本件指定処分がこの規定に反していると窺わせる事情は認められないし、仮にそのような事情があったとしても、この規定は訓示規定とされているから、それにより本件指定処分が違法となるものではない。

③ 更に、指定から現在まで原告ら所有地につき、管理・公開等の措置が講じられていない点については、前記二1(四)で判示のとおり、文化財保護行政は強制的な措置になじむ性格のものではなく、その実現に長年月を要することは当然であり、原告ら所有地についても、現在まで伊丹市による土地の買収が行われていないため、史跡として同市が管理、公開することは不可能な状況にあるのであって、そのことにより、本件指定処分が違法となるものではない。

④ したがって、これらの点に関する原告らの主張は採用することができない。

(四) 本件都市公園を構成する土地に対する指定処分に至る手続に瑕疵があるか。

(1) 原告らは、次のとおり主張する。

本件都市公園を構成している伊丹市緑ケ丘四丁目二二番、二三番及び二五番ないし二七番の五筆の土地については、伊丹市長から文化財保護委員会へ昭和四〇年二月二三日付けで史跡指定の申請が行われ、専門審議会への諮問、同審議会からの答申を経て、文化財保護委員会は、昭和四〇年三月二六日、指定について決定をしたが、その旨の告示がされていない。

したがって、右土地については、史跡指定処分に要求されている内部的意思決定の手続は経ているが、官報による告示を欠いており、行政処分は、外部に対する表示がなければ成立し得ないものであるから、右土地に対する指定処分は成立していない。

(2) 被告は、次のとおり主張する。

本件都市公園の土地に対する指定処分の手続について、原告らには、その無効を主張する法律上の利益はない。

本件都市公園の土地については、昭和四一年七月一九日付けの官報で、同年三月二二日付けの官報の正誤訂正をしたから、官報による告示が行われているといえる。

(3) 裁判所の判断は、次のとおりである。

① 本件都市公園の土地に対する指定手続の瑕疵は、原告らの所有地についての無効事由でも、原告ら所有地に関係する無効事由でもないから、原告らは、右瑕疵に基づく本件指定処分の無効を主張する法律上の利益を有しないというべきである。

② 仮に、原告らに法律上の利益があるとしても、前記二1(一)で認定したとおり、昭和四一年七月一九日付けの官報で行われた指定対象についての正誤訂正は有効であり、それにより、本件都市公園の土地について、官報による告示がされたことになるのであるから、原告らの主張する瑕疵は存しないというべきである。

(五) 本件都市公園以外の土地に対する指定処分に至る手続に瑕疵があるか。

(1) 原告らは、次のとおり主張する。

伊丹市長から、本件都市公園となっている伊丹市緑ケ丘四丁目二二番、二三番、二五番ないし二七番の各土地について、文化財保護委員会に対し、昭和四〇年二月二三日付けで史跡指定の申請があったが、そのときには、史跡公園以外の土地に対する申請はなかった。

その後、伊丹市長から文化財保護委員会に対し、昭和四〇年三月一九日付けで「史跡指定申請の追加書類送付について」と題する書面が提出され、地籍調書として本件都市公園以外の四二筆の土地が表示されていたが、右文書は先の史跡申請の追加書類の送付に関する単なる連絡文書にすぎないものであり、右土地に対する指定申請があったとみることはできない。

また、右文書について、昭和四〇年三月二四日付けで文化財保護委員会が受け付けたとの受付印があるが、これを担当課である記念物課が受領した日付は昭和四〇年三月二六日であることが明白であり、この点からしても右文書の内容は昭和四〇年三月一九日付けで行われた文化財保護委員会による文化財専門審議会への諮問はもとより同審議会の審議、答申の内容とはなっていないことが明らかである。

そうであれば、地籍調書に記載されている原告ら所有地を含む四二筆、従って、昭和四一年三月二二日付け官報告示に記載されている原告ら所有地を含む二四筆の土地については、法定要件である文化財専門審議会の議決、答申を経ていないから、同審議会の答申を基にした文化財保護委員会の決定の内容ともされていないことになる。

したがって、本件都市公園以外の土地については、市長から文化財保護委員会への申請、文化財保護委員会から文化財専門審議会への諮問、同審議会の審議、答申及び文化財保護委員会の決定という史跡指定における一連の手続の対象とされておらず、官報による告示のみが存するのであり、指定に至る内部的意思決定を欠いているから、本件指定処分は無効である。

(2) 被告は、次のとおり主張する。

本件都市公園以外の土地が、伊丹市長による申請の対象とされていないとしても、申請は史跡指定の要件ではないから、申請がないからといって指定処分が無効となるものではない。

また、文化財保護委員会から文化財専門審議会への諮問、同審議会の答申、それに基づく文化財保護委員会の決定においては、右土地は対象とされていた。

この手続の段階では、地番で特定する程には、指定の具体的範囲は明確にされていなかったが、それは、右手続を遂行する上で、何ら障害とならないから、内部的意思決定を欠くとはいえない。

(3) 裁判所の判断は、次のとおりである。

① 昭和四〇年二月二三日付けの伊丹市長からの史跡指定申請では、伊丹市緑ケ丘四丁目二二番、二三番、二五番ないし二七番の本件都市公園の土地のみが対象とされていたことは、前記二1(一)で認定したとおりであるが、乙第一一号証の二によれば、その後、同年三月一九日付けで伊丹市長から史跡指定申請の追加書類の送付がされ、その書類には、概ね伊丹廃寺の主要遺構が存在するとされる地域のうち、本件都市公園の土地を除く地域が記載されている地籍調査が含まれていたことが認められる。

そして、同年三月一九日に行われた文化財保護委員会から文化財専門審議会への諮問、同月二四日に行われた同審議会の答申、同月二六日に行われた文化財保護委員会の指定に関する決定に当たって、その指定範囲が右都市公園の土地に限られていたと認めるべき証拠は存在せず、他方、乙第七ないし第九号証によれば、右指定範囲は、諮問・答申・決定の段階では地番で特定する程度には、明確になっていなかったことが認められる。

② 原告らは、都市公園以外の土地についての申請がなかったことから、右土地に対する指定に至る手続もなかったと主張するが、文化財保護法上、史跡などの指定に際して、地方公共団体その他からの申請があることは要件とされていないのであるから、審議会への諮問が、申請に基づき、その内容に沿って行われるというものではなく、都市公園以外の土地に対する伊丹市長の申請が行われていなかったとしても、そのことで、史跡公園以外の土地についての指定がなかったということにはならない。

また、昭和四三年六月一五日法令九九号による改正前の文化財保護法二一条一項によれば、文化財専門審議会は、文化財保護委員会の諮問に応じて文化財の保存及び技術的事項を調査審議することとされていたが、文化財保護委員会の文化財専門審議会に対する史跡などの指定に係る諮問は、当該対象遺跡が考古学、歴史学などの専門的見地から、国として、保護する価値を有するものであるか否かを各々の専門分野の学者に諮るものであるから、文化財専門審議会による審議・答申の段階及び答申を受けて文化財保護委員会が指定を決定する段階で、官報による告示に示されるような精度で指定対象範囲が決まっていなくても、当該遺跡が国による史跡指定に適するか否かの調査審議等は可能である以上、これらの手続に瑕疵が存することにはならないというべきである。

したがって、本件においては、本件指定処分の対象とされるべき土地全体について、文化財保護委員会による文化財専門審議会への諮問、同審議会の審議、答申、文化財保護委員会による決定が行われたのであり、文化財専門審議会への諮問等の時点で文化財保護委員会に届いていた史跡指定申請書に記載されている地域が本件都市公園の土地のみであり、それ以外の地域に関する追加資料がそれらの時点で右委員会に届いていなかったからといって、本件都市公園以外の地域について文化財保護委員会による文化財専門審議会への諮問、文化財専門審議会による審議、答申、文化財保護委員会による決定という一連の手続が行われなかったということはできない。

よって、原告らの右主張は採用することができない。

5  本件指定処分の通知について

(一) 所有者への通知は文書ですることを要するか。

(1) 原告らは、次のとおり主張する。

行政行為は、一方的に相手方である国民を拘束するものであるから、法律の明文に規定がなくても、その性質上、書面によることを要すると解すべき場合がある。

本件指定処分は、何らの補償もすることなく土地の現状変更を禁止するもので不利益処分であり、書面によるべきことがその性質上要請されるから、文書によらずにされた通知は無効である。

(2) 被告は、次のとおり主張する。

行政行為は原則として不要式であること、法に文書によるべきという規定がないことからすれば、文書によるか否かは文部大臣の裁量に委ねられている。

(3) 裁判所の判断は、次のとおりである。

確かに、行政行為は不要式行為が原則であり、法六九条三項も通知の方式について規定していないが、同項が通知を要求したのは、史跡指定が所有者に対し補償もなく土地の現状変更を禁止するという権利制限を伴う処分であるので、処分内容の明確性、権限の正当性を担保する必要があるためである。

そして、権利制限を伴う行政処分においては、文書による告知をするのが行政上の慣行となっていることからすれば、史跡指定の通知も文書によることを原則とすると解すべきである。

また、仮に被告の主張するように、文書による通知をするか否かが文部大臣の裁量によるとしても、本件では、大部分の所有者に対して文書による通知がされているのであるから、所有者の一部についてのみ文書による通知をしないこととするのは、裁量の範囲を逸脱することになる。

したがって、いずれにしても、本件指定処分については文書による通知が必要と解すべきである。

(二) 都道府県教育委員会が通知業務を他の機関に委託することの可否

(1) 原告らは、次のとおり主張する。

都道府県教育委員会が規則によらずに通知業務を市教育委員会の職員にさせているのは、地方教育行政の組織及び運営に関する法律二六条三項に反し違法である。

(2) 被告は、次のとおり主張する。

現在の行政実務における指定通知の具体的方法は、被告が都道府県の教育委員会に指定通知書の経由を求めると、都道府県の教育委員会は市町村の教育委員会に対し指定通知書を送付するよう依頼し、これを受けた市町村の教育委員会はその職員をして所有者等に指定通知書を送付させるのが通常である。市町村の教育委員会から所有者等への送付は、その職員が使者として直接持参して交付する場合や郵便に付する場合等があるが、これは一般の行政処分の場合と同様である。

(3) 裁判所の判断は、次のとおりである。

地方教育行政の組織及び運営に関する法律二六条三項は、都道府県教育委員会の権限に属する事務の一部を市町村委員会に委任する場合の規定であって、本件のように、他の機関から委任された事項について、市教育委員会に依頼して同委員会の職員を使者として業務を行うことは、行政内部の問題にすぎないから、同条が適用される場面ではないし、何ら違法ではない。

したがって、この点に関する原告らの主張は採用することができない。

(三) 原告林敏夫び林テイヘの通知書の交付の有無

(1) 原告らは、次のとおり主張する。

① 原告林敏夫(以下「原告敏夫」という。)については、当時伊丹市教育委員会の社会教育課社会教育係長であった柳正夫(以下「柳係長」という。)が通知書を伊丹市緑ケ丘の原告敏夫の母林テイ(以下「テイ」という。)宅において渡そうとしたが、テイにその受領を断られたため、単に伝言方よろしくという挨拶をしたのみであり、かつ、柳係長は、その時点で原告敏夫がテイとは別居していることを知っていたのであるから、原告敏夫に対する通知書の交付はなかったというべきである。

② 乙第一七号証、第一八号証及び第二〇号証にはテイの記載がないから、テイに対する通知書は存在しなかったといえる。

(2) 被告は、次のとおり主張する。

原告敏夫に対する通知書が文化財保護委員会に返戻されたのは昭和四一年九月になってからであることからすれば、通知書は一旦原告敏夫に直接送達されたと推認できる。

仮に、原告敏夫に直接送達されなかったとしても、テイと原告敏夫は実の親子であり、本件土地を共同相続していること、原告敏夫は柳係長の訪問の二か月前までテイと同居していたこと、テイが昭和四三年一月に死亡した際の死亡届においても原告敏夫はテイを同居の親族として届け出をしていることからすれば、原告敏夫への通知書は原告敏夫の了知可能な状態にあったといえるから、柳係長がテイに通知書を手渡そうとした時点で、原告敏夫への通知があったといえる。

(3) 裁判所の判断は、次のとおりである。

①本件指定処分の通知については、乙第一九号証及び弁論の全趣旨から次の事実が認められる。

ア  昭和四一年三月ころ、柳係長は、当時伊丹市文化財保存協会の事務局長であった山本賢之助と共に各土地所有者を訪問し、史跡指定の趣旨を説明した上で、史跡指定の通知書を手渡した。

イ  原告敏夫に対しては、同じころ、柳係長らが当時本件史跡指定対象地内にあった林宅を訪問し、テイに史跡指定の趣旨について説明したが、通知書は受け取ってもらえず、原告敏夫に史跡指定の件を伝えてもらうように依頼した。

② まず、通知書が原告敏夫に直接送達された事実の有無に付いて検討するに、乙第二〇号証によれば、原告敏夫への通知書が指定から五か月以上たった昭和四一年九月一日に伊丹市文化財保存協会から兵庫県を通して文化財保護委員会に返戻された事実は認められるが、この事実のみから通知書が原告敏夫に一旦は直接送達されたと推認することはできない。乙第一九号証についても、柳係長は、通知書はその後敏夫に郵送したのではないかと思う旨を記載しているが、これも同人の推測に過ぎず、通知書が原告敏夫に直接送達された事実を認定する証拠とはなり得ない。

③ 次に、柳係長らがテイに渡そうとした文書の名宛人は誰かについて検討するに、乙第一七号証、第一八号証及び第二〇号証は、伊丹市文化財保存協会のメモ的な内部文書にすぎないこと、テイと原告敏夫は親子であることからすれば、これらの書面にテイの記載がないからといって、直ちにテイに対する通知書が存在しなかったと認定することはできないというべきである。

柳係長らがテイ方を訪問し、指定についての説明をテイにして通知書を手渡そうとしたことを考えれば、通知書の名宛人は、原告敏夫とテイの連名であったか、あるいは、原告敏夫に対する通知書とテイに対する通知書の二通を手渡そうとしたものと推認するのが相当である。

④  更に、原告敏夫への通知書を柳係長らがテイに手渡そうとして受領を拒絶されたという事実から、原告敏夫への通知があったと認定できるかについて検討するに、甲第九号証の一及び第一九号証からすれば、原告敏夫は、昭和四三年一月に右林宅から大阪府豊中市に転居し、柳係長がテイ宅を訪問した当時テイとは同居していなかったこと及び柳係長らはそのことを知っていたことが認められる。

このような状況のもとでは、柳係長らがテイに通知書を手渡そうとした事実をもって、通知書が原告敏夫に了知可能な状態におかれたとみることは困難であり、原告敏夫に対する文書による通知があったと認定することはできない。

(四) 原告敏夫への通知を欠いた本件指定処分の効力

(1) 原告らは、次のとおり主張する。

本件指定処分は、所有者に対する指定通知を欠いており、それが重大かつ明白な瑕疵に該当するから、無効である。

(2) 被告は次のとおり主張する。

仮に、本件指定処分が通知を欠いたとしても、本件指定処分を無効とすることは、本件史跡につき二〇余年にわたって築かれてきた事実上、法律上の諸般の関係の安定性と社会公共に対する影響の観点、権利濫用の法理から、適切なものとはいえない。

(3) 裁判所の判断は、次のとおりである。

本件においては、原告敏夫に対して文書による通知がなく、本件指定処分は法六九条三項に規定する要件を欠いていることになる。

行政処分の無効確認訴訟は、当該行政処分に重大かつ明白な瑕疵が存する場合にのみ提起することができると解されているが、これは、無効確認訴訟は取消訴訟と異なり、訴訟提起の期間に制限がないことから、当該行政行為を基礎として新たな事実上、法律上の関係が形成される可能性が高く、法的な安定性あるいは公益的見地から主張できる瑕疵の範囲を厳格にする必要があるためである。

したがって、本件においても、史跡指定処分における所有者への通知は、権限の正当性、内容の明白性を担保するために必要であり、かつ、文書によることを要すべきものであるが、文書による通知を欠くことが常に重大かつ明白な瑕疵として無効確認の事由となると解するのは相当でなく、通知の重要性、通知を欠いたことで所有者に与えた不利益、当該処分を無効とすることが当該処分を基礎として形成された事実上、法律上の関係に与える影響等を総合考慮して、重大かつ明白な瑕疵といえるか否かを決すべきである。

そこで、この観点から検討するに、所有者への通知は、指定処分の権限の正当性、内容の明白性を担保するために必要とされており、その意義は大きいといえるが、本件では、原告敏夫はテイと親子関係にあり、本件指定処分のあった二か月前までテイと本件土地上で同居していたこと、柳係長はテイに本件土地に対する史跡指定処分について説明をした上で原告敏夫に対する通知書を手渡そうとしたが受領を拒否されたこと、原告敏夫は本件処分当時にテイ宅からそれほど遠くない大阪府豊中市に居住していたこと、本件指定処分は官報へも掲載されたことからすれば、原告敏夫は、本件土地が史跡指定処分を受けたことを十分知り得る状況にあったと推認することができるから、右の通知を欠いたことが、原告敏夫に与えた不利益はそれほど大きなものとはいえない。

このことに、本件指定処分がされたのは昭和四一年であり、現在までの二八年間に、伊丹廃寺跡の史跡保護のための現状変更の制限、史跡の保護及び管理のための整備、史跡公園としての公開、民有地の買収等が進められていることを併せ考えると、原告敏夫に対する右の通知を欠いたことが、本件指定処分の重大かつ明白な瑕疵に該当すると解することは相当でない。

6 したがって、本件指定処分には重大かつ明白な瑕疵が存するとはいえないから、右指定処分は、無効ということはできない。

三争点3について

1  原告らは、次のとおり主張する。

被告は、史跡指定処分の解除の申請を受けた場合、当該申請受理の日から相当期間内に右申請に係る事項につき相当の処分をしなければならない義務を負っているが、原告らの本件指定処分の解除申請を受理しながら、右申請受理の日から相当期間を過ぎた現在まで、右申請に対し何らの処分もすることなく放置しているから、被告の右不作為は明らかに違法である。

2  被告は、次のとおり主張する。

史跡指定処分の解除については、法令に基づく申請権は認められていないから、原告らは、本件指定処分の解除申請に対する判定がないことによって侵害される法律上の利益を有するものではない。したがって、右申請に対する不作為違法の確認を求める原告らの訴えは、訴訟要件を欠き不適法である。

3  裁判所の判断は、次のとおりである。

抗告訴訟は、行政庁の積極的又は消極的な公権力の行使によって生じた違法な状態を除去し、関係人の権利の保護を図ることを目的とするものであるが、行政庁の不作為については、当該行政庁がある行為をすべき法令上の義務があるにもかかわらず、何らの応答もしない不作為を続けたような場合において、はじめて申請人に対する法的な権利侵害が具体化したといえるのであって、行政庁がある行為をすべき法律上の義務を負わない申請についてまで申請人に法的な被侵害利益が生じたとして不作為の違法確認の訴えを提起できるとすることは、訴訟対象の制限が厳格に行われている取消訴訟等との均衡上、妥当でない。

そこで、本件についてみるに、原告らに史跡指定処分の解除の申請権を認めた法令上の規定は存在せず、したがって、被告には、原告らの本件指定処分の解除申請に対して何らかの処分をすべき法令上の義務は存しないというべきであるから、右申請に対する不作為違法の確認を求める原告らの訴えは、訴訟要件を欠き不適法である。

第四結論

よって原告らの主位的請求は理由がないから棄却し、原告らの予備的請求は不適法であるから却下することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官辻忠雄 裁判官伊東浩子 裁判官吉野孝義は転官につき署名捺印することができない。裁判長裁判官辻忠雄)

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